大隅さんは英語がお得意ということで、海外とのやりとりをするお仕事が多いと思うのですが、英語はどこで身につけられたのでしょうか?
父親の仕事の都合で、2歳から6歳まではインド、小1から小2は埼玉、小3は神奈川で、小4から小6は大阪の堺、中学3年間は大阪の豊中、そして高校3年間はインドネシアでアメリカンスクールに通って、大学4年間は東京で、卒業してからセガに就職しました。
幼い頃に覚えた英語は帰国してからすっかりきれいに忘れてしまったので、高校の時には集中特訓で勉強をする必要がありました。でも、ヒアリングのセンスだけは残っていたようで、苦労はしたものの、半年くらいで集中特訓コースを卒業して、ネイティブと同様の授業を受けて、トータル3年間で無事にアメリカンスクールを卒業しました。
また、向こうの夏休みは3ヶ月もあるので、その間にアメリカのボストンでホームステイをして、現地の高校で開催されている英語特訓のサマースクールに通ったりもしました。
この3年間で身につけた英語力が、大学時代のアルバイト、そして就職してからも武器になっていったという感じですかね。
なるほど。幼いころからの下地があった上に、3年間アメリカンスクールで過ごされたという経緯があったのですね。アメリカンスクールでの生活はどのようなものだったのでしょうか?
アメリカンスクール自体は、その名の通り、全校2000人中の7割くらいがアメリカ人で、残りの生徒は世界200カ国から集まっていたのですよ。ものすごいスケールでした。当時のボクの親友はユーゴスラビア人でした。
大阪の中学からいきなりグローバルな環境に移って、何もかもが衝撃的でしたね。学内に中野サンプラザのような豪華なシアターがあったり、芝生の広大なグランドが2面もあったり、全施設空調完備だったり。日本ではとても考えられないですよね。毎日が刺激的で、とても楽しかったです。
ハリウッドの青春映画に出てくるような演出で、ホテルで開催されるクリスマスや卒業の時期のダンスパーティーなんかもあったりして、まさにアメリカン・グラフィティみたいな感じだったんですよ。
その頃からエンターテイメントが大好きだったので、演劇やダンスの授業を取ったり、友達に誘われてロックバンドを始めたりしました。本当はギターをやりたかったのですが、ポジションが埋まっていたので、ボーカルをやることになりました(笑)。
一番思い出深いのは、学内の他の色々なバンドに声をかけ、モンスターズ・オブ・ロックを模したイベントを企画して、理事長にプレゼンして快諾を受け、学校にスポンサーをして貰って、イベントを成功させたことですね。
その後、そのイベントは後輩に受け継がれて、今も開催されているそうです。うれしいですよね。
セガに入ったきっかけ、動機などを教えていただけますでしょうか?
ボクが就職活動をしたのは10年くらい前になりますが、日本から海外に向けて発信しているグローバルな雰囲気をもったエンターテイメント企業に就職をしたいと考えていて、ちょうど『デイトナUSA』や『バーチャファイター3』が海外でも非常に高い評価を受けていた頃でした。
現在はPCゲームや次世代機と呼ばれる家庭用ゲームがCGと呼ばれるレベルに達していますが、当時はアーケードゲームが技術の最先端を行く全盛の時代で、セガが先頭を走っている感じがあったので、未来や将来性みたいなものを感じてセガに入社しました。