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SEGA-SAMMY GROUP

クリエーターズ インタビュー

025:井上 雅之

宝物のような思い出を

ゲーム業界でプランナーとして働いていくために、井上さんが心掛けていること、意識していることなどありましたら教えていただけますか?

やはり、日々自分に挑んでいるかどうかではないでしょうか。

表面的にうまくやることには興味がない。ものを学ぶひたむきさは一年目の新人にすら負けない自分でいたい。
究極の方法論なんてあるわけがないし、常に攻撃していないと途端にダメになっていってしまう業界ですからね。
その気持ちさえあれば、色々なものに興味を持つし、社会に対する感性も研ぎ澄まされていくと思うのです。

この仕事をしていて良かったと思うときはどんなときですか?どんなときが楽しいですか?
今までお仕事をしてきた中で、一番うれしかったことは何ですか?

自分の設計したマップが、デザイナーやプログラマーの手でどんどん出来上がっていくのを感じるときでしょうか。

GE1にはとても優秀な方々が揃っていますので、その過程では毎回ワクワクしてしまいますね!

学生時代は、どのようなことに力を入れていましたか?
どのように過ごされていましたか?

学生時代には仲間と自主制作映画を作っていました。自主なので脚本、進行、撮影、編集とほぼ全て自分でまわしていましたけれど、やっぱり撮影するときが一番楽しかったですね。

DVカメラで撮っていたこともあるのですが、個人的にはフィルムをまわすほうが好きな人間でした。息を張り詰めて、一瞬たりともフレームから目を離さず、被写体に集中するひとときは格別のものです。撮ったあとにすぐ確認ができませんから、現像からあがってくるときのドキドキ感がまたたまらないんですよね!

現像後に「おおお、これはイメージどおり!」「あちゃー、これは使えないな」なんて言って一喜一憂したりして、とにかく楽しかった。

あの頃のモノづくり経験がいまの仕事につながっているんだなぁと、よく思います。

セガに入ったきっかけ、動機などを教えていただけますでしょうか?

うーん、やっぱり中学高校時代にセガのゲームをよく遊んでいたからでしょうね。

中学生のときに「プレイステーション」と「セガサターン」が発売されて、ゲーム屋さんでどちらを買うか悩んでいたときに目に入ったのが『パンツァードラグーン』のデモ映像だった。その瞬間に自分の人生は決まってしまっていたのかもしれません。

その後も、ゲームセンターで『バーチャファイター2』や『バーチャロン』にハマっていき、その頃からセガでゲームを作る仕事がしたいなぁと漠然と思っていました。

大学を選んだときも、就職先一覧に「セガ」があったから決めたようなところもあり、本当に、こんなにストレートでいいのだろうかと思ってしまいますね(笑)。

なるほど。セガまっしぐらだったのですね。
セガに入って、どのようなことがやりたいと思っていましたか?

「宝物のような思い出を、ゲームを通してお客様に届けたい!」

セガの入社面接ではこのようなことを言っていました。
そのときは面接官の方に笑われてしまいましたが、今もその信念は変わっていません。

世の中にはゲームなんてつまらないって思っている人も多い。自分だって、ときには「あれ?」って思うこともあります。それはきっとゲーム自体がつまらないんじゃなくて、時間を無駄に浪費してしまったという罪悪感なのだと思うのです。丁寧なシステムによって「気持ちよくさせる」ことはできるけれど、それ以上の「感動」や「驚き」、「喜び」がなければ、そのゲームは時間を浪費するためのシステムでしかない。

限られた時間を「思い出」に変えるために、エンタテイメントは存在するのだと私は思っています。

ゲーム業界への就職を目指している人へ、アドバイスや助言をお願いできますか?

・どうしてゲーム業界なのですか?
・そのために何をしてきましたか?
・今後、何を成し遂げたいのですか?

この問いに対して熱意と説得力のある答えがあるのでしたら、
きっと何の問題もなく採用されると思います。

本当に目指しているのならありますよね?


おたのしみ