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SEGA-SAMMY GROUP

クリエーターズ インタビュー

009:大谷 智哉

舞台での仕事で別の役割をもった音楽の在り方を学ぶ

大谷さん個人のこともお伺いしたいと思います。音楽はいつ頃から始められたのでしょうか?

小学校の2年生くらいの時にピアノを習い始めたのが最初です、習い始めたというより、「習いに行かされていた」というのが正しいです。練習が嫌で嫌でしょうがなく、泣きながら弾いてました。

そんなレベルだったにもかかわらず、学芸会の歌のシーンのピアノ伴奏者に立候補してみたりしていました。
ろくに弾けもしないのにです(笑)。 他の候補者は初見で弾けてしまうようなレベルの曲だったと思いますが僕にはとっては相当難易度の高い曲でした。おそらく目立ちたかっただけで立候補したのだと思います。

その後、必死で猛練習し、さらにクジ運もよく、ピアノ伴奏をすることが出来ました。
鳥のかっこをして弾いてましたね。

で、小学校半ばでピアノをやめ音楽からは遠ざかりますが、中学三年の頃、今度は自発的に音楽に目覚めます。世間はバンドブームと言われていた時期です。
御多分に洩れず、ブームの影響か友人達とバンドを始めました。

ニューロティカなどのコピーバンドをしてました。僕はベースを担当していたんですが、何故ベースを選んだかと言われれば、なりゆきです。友人4人くらいで集まっていてバンドやろうぜ!みたいな話で盛り上がって「俺ギターやるけど」、「お前なにやる?」、「じゃ俺ベースで」みたいな。学校の先輩から5000円で売ってもらって最初のベースを手に入れました。


高校生の時、ライブにて

高校の頃には、定期的にリハーサルスタジオに入って練習し、チケット売ってライブハウスでライブやったりしてました。
ビジュアル的にはヤンキーとパンクスが混在しているバンドでしたね。

ヴォーカルは今でいう氣志團のような金髪のリーゼントにウルフカットなのにも関わらず、ファッションはジョニー・ロットン風で、カーゼやチェックのボンテージ、尻あてにラバーソウル、違った意味でミクスチャーでした。

僕はまぁ、その中ではファンション的には普通な方でしたよ。
上手に演奏することよりも、場を盛り上げることや、びっくりさせるような仕掛けを考えたりすることがとにかく楽しかったです。

ヤンキーとパンクスの混在!とても楽しそうなバンドですね。高校生以降は、どのように過ごされたのでしょうか。どのようなことに力を入れていましたか?

●打ち込みやサンプリングにはまる

ほぼ音楽ですね。その後、予備校、大学と進むわけですが、その頃はミクスチャーロックやブラックミュージックに傾倒している時期で、70年代のSOUL、FUNK、RAGGAE、SKA、RAREGROOVEといったアナログレコード買い漁り始めた時期でした。

オリジナル曲でFUNKよりのミクスチャーバンドを始めたんですが、バイトで稼いで、シンセサイザーやカセット4トラックのMTR、 リズムマシン、サンプラーなどの機材を買いそろえて宅録といった自宅でデモ制作みたいなことを始めました。バンドで演奏するオリジナル曲のデモ制作のために揃えた機材だったのですが、いつの間にか、打ち込みやサンプリングにはまり、一人で音楽全体を制作するのが楽しくなってきた時期でした。
毎日機材を触っては音作りを試行錯誤していました。


自宅のレコード置き場

アナログレコードはさらに増え続け、60年代のポップスやジャズ、サウンドトラックやイージーリスニングなども聴くようになり、またそういった時代のレコードをサンプリングして制作された、90年代のダンスミュージックにも興味が広がり、DJも始めていました。

自分はオリジナル曲を作ってアーティストでやっていくもんだと思っていた頃です。

ちょうどその頃に、21歳くらいだったかな?、中学時代の友人に再会します。僕と同じように別なバンドでベースをやっていた奴でした。
そいつから突然、「今、劇団で役者をやってるんだけど、公演観に来てくれよ」と誘われました。

「劇団?役者?なんで?」

びっくりもしましたし、演劇というものが自分の興味の対象になるようなイメージは全くなかったのですが、誘われるがまま、おそるおそる高田馬場にあるキャパ30~50人?くらいの小さくて薄暗い小劇場に足を運びました。

●劇団「猫ニャー」との出会い

今はもう解散してしまったんですが、劇団名も「猫ニャー」といったふざけた名前だし、なにそれ?って感じですよね。そこで観た芝居は、それまで僕が思い描いていた演劇のイメージとは全く違うもの、全編シュールな笑いがベースにあり、ショートコントや長いコントが連続して構成されているような俗にはナンセンスコメディーと括られるらしいと後から知りました。

打ち上げで飲みにいったら、劇団の音楽、音響効果を担当してくれないか?と誘われました。作曲もする音効さんといったポジションですね。全くよくわからない世界だったにも関わらず、二つ返事でOKしてしまい、脚本演出家のブルースカイさんという変な名前の人も紹介され、そうこうしているうちに、劇団「猫ニャー」の次回公演(1996年『ファーブル』)から参加することになってしまいました。

それまでの僕が考えていた音楽というものは、アーティストがオリジナル曲作ったり演奏したりして活動していくといった発想しかなかったんですが、この舞台の音楽、音響効果を経験したことで、また別の役割をもった音楽の在り方、さらには効果音制作までも学ぶことになりました。

音楽を入れる箇所は演出家と相談しながら決めていき、制作に入ります。
出来た音源を稽古場に持ち込んで、必要であれば役者の方と動きを合わせたりしながら尺や展開などを詰めていきます。雰囲気ものから、歌もの、ジングル、映像に合わせたものなど色々なものを作りました。

効果音に関しても同様にシーンに必要な音を割り出し図書館にある効果音CDライブラリーを借りて音素材を探したり、安いマイクを買って必要な音を録音してみたりして準備していました。

ただ、シュールな笑いが中心の芝居だったので、音楽の使い方に関しても変わった要望が多く、「ボケにつっこむ度にジングルが鳴る、その回数を重ねる毎に音が増えたり変化したりする」みたいなある意味インタラクティブサウンド?な、そういった、自分にはない発想を持つ演出家とのコミュニケーションも楽しかったですね、おかげで変な洗礼を受けてしまったと思いますが。


猫ニャー公演本番中

そうこうしながら、自宅で制作し、稽古場に音源や効果音を持ち込んで演出家や役者の方々とタイミングや尺など確認しながらリハーサルを重ね本番に臨みます。

劇場入りしてからは、スピーカーなどをセッティングして、回線、機材が正しく鳴るかチェックし、客席でどれくらいの音量で聴かせるかを曲ごとに決た後、音楽や効果音が鳴るきっかけだけを通したリハーサルを行い最終確認を行います。

本番中は、客席後ろの照明や音響用のミキサーのある部屋に、MDプレイヤーや効果音を鳴らすためのサンプラーなど操作する機材をセッティングしスタンバイしています。

●生の舞台で勉強してきた。

ゲームでは全てのサウンド再生はプログラミングされ、決められたタイミング、あるいはユーザーの任意のタイミングに、セットされたサウンドが鳴りますが、演劇の場合、基本的にはリアルタイムでオペレートしていきます。

例えば、ドアをノックする音を役者の演技に合わせて裏でサンプラー鳴らすわけですが、役者がノックする動作を「何回」するかのかを事前に確認しておかないと3回の動作なのに、うっかり誤って4回音を鳴らしてしまったりする事態が起こりかねません。もちろん3回分の効果音シーケンスを組んでもいいのですが、僕は一発づつ鳴らす方が好きでした。

音楽を再生するタイミングも色々あり、シーンによって照明や場面転換がきっかけだったり、役者の動きや台詞のきっかけなどまちまちです。事前に全てを確認し、台本に書き込んでいました。フェードイン、フェードアウトもミキサーのフェーダーでリアルタイムでおこなうので、舞台上の状況を見つつ、照明さん、舞台監督さんと連携をとりつつ、指先をぷるぷる振るわせながらオペレーションしていきます。

舞台ではお客さんの反応もダイレクトに見ることが出来ます、確実に反応が良いシーンもあれば、日によって反応がまちまちなシーンもありました。同じようにやったのに、昨日はウケたのに、今日はウケなかったとか、台詞のいいかたをちょっと変えたらウケたとか、ちょっと台詞の間をあけただけでウケるようになったとか、逆にウケなくなったとかシビアな反応をダイレクトに見る事ができ、間やテンポ、演出、演技、緊張と緩和など人を驚かせたり惹き付けたりするために重要なことを垣間みることが出来ました。

会場全体が舞台上の演技に引き込まれている時の張りつめた空気、その後のギャグで会場全体にどっと笑いが起る瞬間が大好きでした。


おたのしみ